第6回学術大会 ワークショップ要旨
1.精神世界の構図2−精神世界の『社会性』を透視する
「精神世界」の語は1980年代以降、「宗教」の類義語として一般に用いられてきた。大型書店では「精神世界」のコーナーが定着し、信仰の有無に関係なく広く読まれた本も多い。しかし、研究対象としては、「精神世界」は明確な定義が与えられないままに、「オカルト・ブーム」などの語をもって、漠然とした流行現象としてしか把握されてこなかったように思われる。また、研究の対象とするには組織が明確でなく、とらえどころがなかったともいえる。
「精神世界」についての2回目のワークショップとなる今回は、とらえどころのない「精神世界」の全体像を複数の事例を通じて描くことを意図している。一方、互いの研究進展をめぐるやりとりからは、研究調査方法についての様々な示唆も得られてきている。制度性が弱く実態を掴みにくい「精神世界」ではあるが、個人と文化・社会との接点に注目すれば、実り豊かで充実した研究につなげていくことができる。個人のライフヒストリーと生き方、土着文化とグローバルな消費文化とのせめぎ合い等々、とりあげられる視点は様々だが、とりあえずそれらを「精神世界の『社会性』」と呼んでおこう。現時点での各報告者の発表内容は以下の通りである。
小池報告は主に英語圏のNew Age研究史を概観し、カルト論、個人主義論、消費文化論等に立脚したNew Age論に内在する問題点をクローズアップする。伊藤報告は昨年の理論的報告を特定の宗教運動に焦点を当ててより具体的に応用するものである。佐藤は、沖縄文化との結びつきを論議してきたユタ研究を超えた、よりグローバルな実践の文脈を提示する。鈴木は新しいメディアを媒介としたコミュニケーションが「精神世界」を支持しているありさまを検討する。樫村は「精神世界」に関わる女性たちにたいして行なった精力的な調査を踏まえ、「精神世界」の担い手の属性について存在していた先入観に疑義を呈する。以上は、報告者たちの問題関心の全てをカバーするものでは当然なく、当日の報告を是非お聞きいただきたい。(企画者:上越教育大学 葛西賢太)
司会:葛西賢太
発表:小池 靖「パスト・プレズント・アンド・フューチャー:ニューエイジ研究の歴史と展望」
伊藤雅之「和尚ラジニーシ・ムーブメントの世界観、組織、参加者」
佐藤壮広「沖縄のシャーマニズムと精神世界の交錯−あるユタとセラピストの出会いから−」
鈴木健太郎「占いから精神世界へ」
樫村愛子「「個人」意識調査から見た、精神世界と社会の関係について」
(協力者:福田はるみ)
コメンテーター:井上順孝
2.東アジアにおけるキリスト教の受容
東アジア地域において、「世界宗教」とよばれるような制度的・経典的な宗教が、「土着」「伝統的」などと称される民俗・民衆的な宗教形態として、どのような世界像を切り開き、独自の意味世界を創り上げてきたか、という問いに対しては、すでに多くの研究が蓄積されてきた。しかし、そこで注目された制度的・経典的宗教は、仏教、儒教、道教などが中心で、西洋起源の外来宗教と見なされたキリスト教についての研究は手薄であった。本ワークショップでは、東アジア地域の多様なキリスト教の展開に目を向け、その適応形態の具体相を捉えるための有効な枠組みを模索するとともに、今後に向けて、共同研究の重要性をアピールしたい。全体を規定するようなテーマの限定はあえて行なわない。ただし、各発題者がゆるやかに共有している問題意識は、次の二点に集約される。
(1)従来の研究で多用されてきた「キリスト教」対「伝統宗教/民俗宗教/土着信仰」といった対立図式から、可能な限り抜け出せるような視点を探ること。とりわけ近代以降の日本人に抱かれてきた「欧米型キリスト教」を普遍モデルと見なす偏見には批判的でありたい。外来のキリスト教が各地域ごとの受容形態をとることによって、いかなる新たな意味世界を切り開き、文化的創造を演じてきたか、という具体的なプロセスを重視したい。
(2)キリスト教の受容というテーマを中心に据えたとき、東アジア(韓国、台湾を含む中国、沖縄を含む日本)という地域の共通の特性といったものはあるのか、それともないのか、という問題を考えたい。さしあたり問題となるのは、先祖祭祀、シャーマニズムなどと総称されてきた宗教的慣行との関係、儒教的価値観や道徳観との関係、近代国家成立過程におけるナショナリズムや民族的アイデンティティとの関係、などであろう。[世話人:池上良正、秀村研二]
司会:孝本貢(明治大学)、山中弘(愛知学院大学)
問題提起:池上良正(筑波大学)
発表:秀村研二(明星大学)「韓国におけるキリスト教の受容と展開」
韓敏(東洋英和女学院大)「現代中国におけるキリスト教の再興と受容-安徽省農村地域を中心に」
池上良正「現代沖縄におけるキリスト教聖霊運動の受容基盤」
Mark MULLINS(明治学院大学)「日本における土着型キリスト教と先祖の問題」
コメンテーター:崔吉城(広島大学)杉本良男
3.都市祭礼研究の課題と可能性−祭礼の諸戦略と支配
集団的な沸騰状態を通じての聖意識の出現と社会統合の実現というデュルケームの解釈は、今も祭り研究において一定の有効性をもっている。しかしそこに、ある種の限界を指摘することも可能である。デュルケームの研究は、祭りを構成する諸個人・諸集団間の葛藤や、祭り集団と外部社会との関係性、祭りの形態や機能の通時的変化など、現代の都市祭礼研究に欠かすことのできないダイナミックな視点を欠いていたからである。
本シンポジウムの目的は、これらの視点を取り込みながら、都市祭礼研究を再構築することにある。都市はいかなる資源(文化的、経済的、政治的、心理的、etc.)を活用しながら、その祭礼を組織しているのか。祭礼を通じて都市は、その内部や外部との間にいかなる関係性を築いているのか。都市住民がおこなうさまざまなパフォーマンスのなかで、祭礼は何において他の実践から区別されるのか。都市は祭礼を通じて何を実現しているのか。心理学、民俗学、人類学、社会学など、さまざまな方法的アプローチを採りながら、これらの問に対して一定の答えを出していきたい。
司会:竹沢尚一郎(九州大学)
発表:福間裕爾(福岡市博物館)「都市祭礼の伝播−−北部九州の山笠」
小松秀雄(神戸女学院大学)「都市祭礼の文化的再生産」
南 博文(九州大学)「勢いの場の共同構成−−祭礼への心理現象学的接近」
芦田徹郎(甲南女子大学)「現代都市祭礼のアイロニー」
コメンテーター:関一敏(九州大学)