全体討論 要約
掲示版などのインタラクティビティは、その宗教が役に立つのか、救われるのか、ということを確証するひとつのシステムになっている。
今までの既成教団は、情報を占有している人間が政治的に大きな権力を持っている(聖職者など)。しかし、その配置換えが起こっている。
これまで教団を形作ってきたネットワークのあり方が、変わってくるという側面がある。所属している教会などで聞いていた、それで自分が確信を得ていた宗教の内容と全然違うことが、直接(公式ホームページに)アクセスしたときに得られたり、自分の思っていた解決法とは全然違う回答が得られるかもしれない。
宗教の場合も、情報の伝達というのが重要な役割を果たす。情報の伝達の媒体が変わることによって、情報の伝達によって作り上げられてきた教団などが形を変えてくるということがありえる。
電子メディアによるインターアクションの上で宗教的共同性が成り立ちうることは理解できたが、それが従来のものとどう違うのかが、未だ明確ではない。
実態が社会的に見てほとんど問題がなければ、情報として仮にネガティブなものがあってもの、ポジティブなものがあっても、オーソドクシーなものがあても、それで信者は動揺しない。ところが、社会的に見て不相当なものがある場合は、確認する作業ではなく、信者が自分を納得させる作業になる。
インターネットの共同性と、それ以外を比べるに当たって、インターネット側のサンプルが、世代差など社会的な条件と共変してしまっているのではっきり言えないのではないか。インターネットにアクセスできる人々が限られている現在、インターネットの特性だけで脱会行動を判断するのは困難である。