「(書評) 吉田純氏著『インターネット空間の社会学』」

黒崎浩行 (國學院大學日本文化研究所)

社会学者吉田純氏の『インターネット空間の社会学』は、社会空間としてのインターネットがはらんでいる不確定性を前提とし、それへの研究視座を確立することをめざしている。この「研究視座」と、それをもとりまく「社会的布置状況」とに分けて、本書と「インターネットと宗教」研究との接点を検討する。

研究視座としては、「非決定論的視座への転換」が挙げられる。従来の情報社会論は技術決定論的な発想にもとづき、情報化がシステム (経済、政治・行政) にどう寄与するかのみに焦点を当てていた。しかし、1990年代、CMCネットワークの普及浸透が進むにつれ、情報・メディア技術が生活世界のなかで社会的・文化的意味づけられ構築されるものとしてとらえ直される。この双方向的な視点にもとづき、「情報ネットワーク社会」がはらむ「アンビヴァレントな志向性」を認識しつつ分析することになる。この流れは「情報化と宗教」論にもあてはまるが、日本の宗教社会学全体における機能的アプローチから解釈的アプローチへの展開に比べると10〜15年も遅れている。にもかかわらず、この「転換」をともにあらためて強調しなければならない。それは、依然として「情報化」が政策レベルで技術決定論的視点から語られているからだ。

また、情報ネットワーク社会における生活世界とシステムとの関係調整が、〈仮想社会〉と〈現実社会〉の相互浸透という分析枠組のもとに、〈仮想社会〉の三つの特性、すなわちネットワーク性、匿名性、自己言及性を抽出することで考察されている。こうした分析枠組は、「インターネットと宗教」研究を今後理論的に洗練させていくうえで大いに参考になる。

本書は上記のような研究視座・分析枠組の意義を、インターネットが置かれている社会的布置状況との関連づけによって示している。それは、「公共圏」の三つの成立原理、すなわち平等性、公開性、自律性に対する接近と離反というアンビヴァレンスである。それぞれ、宗教にまつわる現象で対応するものを確認しておく。平等性については、インターネットにおける宗教情報のアセスメント。公開性については、宗教勢力による規制への関与。自律性については、精神世界・新霊性運動とのかかわり、である。

吉田氏リプライ

・「公共圏」の役割は「生活世界の合理化」。それまで常識として通用してきた前提を問題化する(社会問題の構築)。「宗教的共同性」の場合、合理化されえない部分がベースにあるが、しかし単純に非合理的なものとして「公共圏」と対立するとは考えられない。ハーバーマスも現代の公共圏の主要なアクターのひとつとして宗教界を挙げている。そこで分節化した「宗教的公共圏」が考えられるのではないか。

・ポストモダニティにおける文化的多元性のひとつとしての宗教的共同性。

これはハーバーマスの議論とも矛盾しない。ただし多元性を全体として保証する倫理が要請され、それは「討議倫理学」として提出されている。

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討議

・「文化的多元性を保証する倫理」にはどういう形式的な解決手段があるか?

→(吉田氏)機能しうる前提として、ハーバーマスは近代民主主義の基本的な制度を挙げている。

・ミクロな過程だけでなくマクロな社会変化に目を向ける方向には共感。「討議倫理学」について、インターネットでマイナス情報を信用しやすいという現実をどう考えるか。

・理論の整合性よりも実効性が大事。

・ネットワーク性、匿名性、は確認しやすいが、自己言及性という性格はどうやってとらえていったらいいか? →(黒崎)場の定義をめぐる議論。

・インターネット空間においても、authority は完全に解体されるのでなくて再構築される。

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